自分の本当の姿

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自分らしさl

私たちの苦悩のひとつは、「本当の自分」が分からないことにあると思います。この「本当の自分」というのは、何を喜びとし、何をしているときに我を忘れた状態になり、どんなことをして自分や他者に貢献できるかを知っている存在ではなかろうか、と私は思っています。

しかし、この「本当の自分」、人生全般が快適で、満足のいく状態にあるときには、視線を向けないものではないでしょうか。つらさ、苦しみ、痛みがあるときにこそ、「本当の自分とは何だろう?」「本当の自分を知りたい」と願うのです。

「あなたの本当の姿は、無知だとか悟っているとか、価値がないとかあるとか、そんな、あなたとは誰であるかについての概念とは無関係です。真実のあなたはそれらすべてから自由なのです。あなたはすでに自由であり、そのことに気づくのを阻んでいるのは、自分が誰であるかという思考へのあなたの執着だけです」

「ずっと前からここにあり、自己実現を堂々と待っているもの、それに注意を向けてごらんなさい。あなたは本当は誰ですか?あなたとは、あなたの頭の中に現れるイメージですか?身体が感じる感覚ですか?それとも頭や身体を通り過ぎる感情でしょうか?誰かほかの人があなたはこうだと言った、それがあなたでしょうか?あるいは誰かほかの人にあなたはこうだと言われたことに対する反抗、それがあなたでしょうか?これらは、様々な自己誤認の仕方の一つです」

ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている 」より。

私を含め、人間は自分のことを、概念あるいは思考でとらえようとします。「こういうときに、こういう反応をしたから、こういう人に違いない。それが本当の姿である。ついに私は尻尾を掴んだぞ」と。

ただし、それこそ「考えてみれば分かるように」、その反応は生まれて以降、その人が成長の過程で身に付けたものであり、 「本当の姿」とは違います。セラピーを受けたり、トレーニングを積み重ねたりすることで変化するようなものは、「本当の姿」とはいえません。育った家族や文化が違えば、「違う自分」になっていたようなものを、「自分の本当の姿」とみなすことはできません。

「あなたとは、眩いばかりの自由な意識です。この輝く自由な意識が、自分を単なる肉体、思考、感情、あるいは状況と同一視することで曇らされるとき、あなたは嘘の人生を生きています そして嘘のあるところにはいつも苦しみがあるのです」

「悲劇は、理性による結論が現実であると私たちが信じてしまう点にあります。これはとても大きな悲劇であり、日常的な苦しみも、最も深遠な苦しみも、個人的な苦しみも、集団としての苦しみも、みなこれが原因です」

ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている 」より。

つまり、理性とか理解力とかといわれるものは、形式だった推理や論理の展開を示す「ツール」でしかない、ということを、ガンガジは言っているのではないでしょうか。

道具は、ひとつひとつの目的を遂行するにあたり、有効なツールかもれませんが、道具に絶対性を認め、その前に人間がひれ伏すという逆転(道具に人間が従うという逆転)が起こると、そこには苦痛・苦悩が生まれるし、道具に従っても答えには至らない、ということです。

思考が「自分である」と見なしているものは、「本当の自分の姿ではない」。

「自分らしく生きたい」というのも、概念(苦痛を離れた理想郷)への執着なのかもしれません。

「自分らしく生きる」ということはどういうことか、を知るためには、「自分らしく生きる」こと、「自分らしくありたい」と願うこと(思考への執着)を放棄せねばならない、そのとき、私たちが見つけてくれることをずっと待っていた「本当の自分」が、私たちの意図とは無関係に、私たちの内側から姿を現すと言っているのではないか、と同書を読んで思いました。

>> 「犠牲者」という役割