「犠牲者」という役割
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「役割を身にまとうと、私たちは常に注目を集めていないと気が済みません。」
「犠牲とは役割です。(中略)もし仕事や人間関係での成功を望むなら、今すぐ役割を捨て、本物の態度を求めなければならないのです。」
「役割こそ、誠実さを損なうものにほかなりません。なぜなら役割に縛られると、人は間違った理由のもとに正しい行動をとってしまうからです。役割に従うことは、いわば法律の精神を無視して、条文の形式だけに従うようなものなのです。」
「犠牲を通じて達成されるものは、犠牲なしでも達成可能なものばかりです。」
「犠牲とは、与えるフリをして奪おうとする試みです。それは、無価値感を埋め合わせようとする試みと言えるでしょう。(中略)そう、私たちは自分を犠牲にすることで、他者に支えてもらおうとしているのです。」
「チャック・スペザーノ博士の成功心理100 」より。
「犠牲者」 になることで、私たちは、他者よりも上の地位を手に入れたり、他者と同等の地位にまで下りていって、恩を着せたりすることができるといいます。
「彼らを 『支える』 」という名目のもと、あらゆる人間関係を犠牲の形に変えて(←引用)、相手より上になることもできれば、「本当は私だってこんな場所にはいたくない。でも、もしあなたがそばに置いてくれるなら、私はあなたのために素晴らしいことをしてあげよう」(←引用) と奥きせがましく対等になることもできる、と同書には書かれています。
「犠牲」 と 「貢献」 は違うものである、「貢献」 とは人間関係の究極の形である、「犠牲」 とは 「物事とはこうあるべきだ」 という判断と証明の上に成り立つものであり、エゴの主張を強大にする、と著者は指摘し、ゆえに 「犠牲」 のパターンに陥った人は、「成功」 「自由」 といったハートの喜びから、自ずと遠のいていくのだそうです。
そのことは、著者も書いているように、「犠牲的精神の持ち主」 が絶えず、愚痴を言い、自分が陥っている状況を他人のせいにしていることが多いことからも、明らかといえるでしょう。
>> 「ほんものの自己」のレッスン(1)
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