「知識」の無意味さ

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自分らしさc

子どもの頃から私は、漠然と「自分とは一体、何なんだろう?」「何のために生きるのだろう?何のために生まれてきたんだろう?」と、思い続けてきました。

母は、私に常に高いハードルを用意し、母が決めた目標やルールを、私が遵守することについて、非常に厳格な人でした。

「子どもは犬猫と同じ。身体で教えないと分からない」が口グセで、親の手伝いでミスしたことを理由に、また「テストで90点以上取らなかったから」と、顔をひっぱたかれたものです。

叱られるのはイヤなので、頑張って、目標をクリアしてきました。「聡明な子」「しっかりとした、強い子」というのが、周囲の私に対する評価でした。

母の目論見では、キャリアウーマンに育った私が、何かと孝行してくれるハズだったのですが、真に受け入れられたという実感なきままに育ってきたこともあり、私は実家に寄りつかない大人に成長しました。

「母の所有物のように扱われる子ども」というと、“甘やかし”を強く思い浮かべますが、私の場合は、母の理想像に近づくために、“制約を受け、否定され、突き放されてきた”パターンです。

「お向かいのご家庭には、頻繁に娘さん夫婦や息子さんの一家が帰ってくる、友だちは、娘の家に、気軽に泊まりに行っている…、なのにアンタは…、私はこんな目に遭っている」、そういう愚痴も、聞かされました。

「それは、そのお宅が、そういった関係を築いてきている、というだけのこと。甘えさせてもらったこともなく、ひたすらに突き放されて育った私が、その部分だけを、お母さんにとって都合よく、同じように振る舞うと思ったら、大間違い」、
そのように答えていました。

そんな具合に育った私は、空虚さで満たされた「自分」という存在と、人生の意味を知りたかったので、大学では心理学科に進みました。

当時は、今と違い、心理学科を設置した大学が少なく、学んだところで就職先がない、とも言われていました。しかし、稀少な学科であるがゆえ、牢獄のような実家から、遠く離れられたのは幸いでした。


…しかし、勉強の内容には失望。

「こういう症状は、こういう母子関係にあった人に起こりやすい」
「人間は自分のなかの不協和を解消するために、合理化する」
「強迫神経症は、厳しく育てられた人によく見られる症状なので、のんびり構えるようにしましょう」 等々。

「知識」と「それに基づく解説」は、何の解決にもつながらない。そもそも「のんびり構える」ということがどういうことなのか、そこからして分からないし、それがどういう状態なのかを体得していれば、そんな症状に悩みはしない。

それでも40歳になるまでは、「知識」の獲得によって、自分を理解し、変えることができる、自分のなかのポカンと開いた空洞を埋められる、そう思い、せっせと「知識」を拾い集めてきました。

しかし、何かが違う!万事休す。

そんなとき、私に、ひとつの道を示してくれたのが、「コンシャス・リビング―人生はもっと美しく豊かになる 」という本です。

>> 「ペルソナ」と「本当の自分」