トップ > 「自分らしく生きる」とは (記事一覧) > 「ペルソナ」と「本当の自分」
「ペルソナ」…カール・ユングによる言葉で、人間の、社会的適応のための外的側面。 「コンシャス・リビング―人生はもっと美しく豊かになる 」より。 (P.37) 私たちは自分の感情を感じとらないようにし、本当の感情を他人にも話そうとしません。私たちは感情の否認という夢うつつ状態に生き、その中では、本当の自分とつながり他者と結びつくよりもペルソナの欲求のほうを大切にしているのです。生存し、承認されるために子ども時代に自分の内側に取り入れたそれらのペルソナの欲求によって、私たちは、身体で感じ心で見ることのできる自らの本質である、広々とした空間の中でくつろぐことができないのです。 長い間、私も「それを保有しており」、いまだに「無関係」とは言い切れないのが、「『ペルソナ』を、自分と思い込む」というパターンです。 「ペルソナ」とは、私たちが、この世に生れ落ちたときにはくっついていなかったもので、「このように振る舞うと、周囲に受け入れられやすい」ことから身についた行動パターンであったり、「あなたは優しい子ね」と言われ続けることによって「優しく振る舞うのが当然の自分」になっていたり、寂しさを紛らわせるために、あえて無関心を装う自分であったり、突き詰めて考えれば、「本当の自分」ではない部分を意味します。 「突き詰めて考えれば」「本当の自分ではない」のですが、私も長らくそのようであったように、「本当の自分」と「ペルソナ」の境界を、明確に認識することは難しい。 身辺に起こることや、周囲や他人に流され、そのなかで自分を捉える習慣が根強い場合には。日本の文化では、特にその傾向が強いように思います。 現在の私は、それが「ペルソナ」であることは分かります。ただ、それらの反応の全パターンから、自由になったわけではありません。自由になることを望んではいますが。 (P.45) 第一の質問―どうしたら自分自身と仲良くできるのか?第二の質問―どうしたら周りの人たちと調和して生きられるのか? (P.46) 頭(マインド)だけでは、この二つの大きな質問には答えられません。身体全体から出る答でなければ納得できる答にはならないのです。自分や他人と仲良く暮らす方法をただ知るだけでは何の意味もありません。幸福や満足という深い感覚を実際に感じとるのでなければ―あるいは相手と結びついている愛の流れを感じとるのでなければ―それらの質問を知的に議論することは、中身のない空疎なものとなるだけでなく、絶望が生み出す自己防衛のひとつのパターンにさえなってしまいます。根本的な問題について知的な議論がなされるのは、おうおうにして私たちが全身で答を感じとることができないからなのです。 「コンシャス・リビング―人生はもっと美しく豊かになる 」より。 「ペルソナ」は、あくまでも「ペルソナ」であり、「本当の自分」とは違うのだ、ということを、身体全体で感じることがなければ、上記の二つの質問には答えられない、そういうことのようです。 「答えられない」ということは、「答えには、到達できない」ということですよね。 そして、私自身、ということでいえば、この二つの質問の答えを「全身で感じたとき」には、「自分らしく生きる」ことも実現しているのだろうと思っています。 >> 幸せを感じる仕組み