幸せを感じる仕組み

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自分らしさe

コンシャス・リビング―人生はもっと美しく豊かになる 」より。

(P.68)
私たちは一つの完結した有機体として作られています。自分の中に含まれるあらゆる多様な要素が自分の本質の持つ完全性や全体性の中に受け入れられたとき、私たちは幸福だと感じます。働くのも、愛するのも、創造するのも、すべて自分の本質という広大で愛に満ちた統一体の中で行われるのです。一つの完結した有機体として活動するとき、私たちは友人や家族という一つの完結した有機体とつながりあえるのです。


子どもの頃を思い出してみるとよいでしょう。

夢中で砂遊びをした、野山を駆け巡った、一面に広がったレンゲ畑の匂いを嗅いだ、広くて高い空とひとつになった…、子どもの頃の体験は、「全なるものとの一体感」に満ちています。

それらが、大人的な意味での「幸福」だったかどうかは分かりませんが、とてつもない充足感・欠けるところのない感じ(完結性といってもよいかもしれません)がありました。

あの感じで、今を生きると、幸せを感じることができるのかもしれません。

私が思うには、大人的な意味での「幸福」というのは、もっと頭(マインド)の働きに拠っています。経済的に十分なものを得ている、家族に恵まれている、社会は自分を必要としている…、今のこの状態を「幸福」と呼ばずして、何が「幸福」であろうか…。そのように、「幸福」を、周辺的状況の寄せ集めの結果のように捉えがちではないでしょうか。

子どもの頃に感じた幸せ(充足感)というのは、何かの結果ではなかったと思うのです。


(P.68)
これはけっしてたやすい仕事ではありません。単純でありながら、同時に根深い問題がそこにひそんでいるからです。私たちの多くは、小学校に上がる頃にはもうすでに二つの顔、二つの自分を持つようになります。心が二つに裂け、感情から切り離され、身体と争うようになるのです。そうなるには十分な理由があります。生存のためです。幼年時代にはしばしば危険が満ちており、本当の自分がその時期を生き延びるには、社会に対して偽りの仮面をつける必要がでてくるのです。その仮面が笑い顔か、あるいは憂い顔かはあまり重要ではありません。重要なのは、成長した後で、もう一度自分を統合できるかどうかなのです。

コンシャス・リビング―人生はもっと美しく豊かになる 」より。


「ペルソナ」を看破し、統合された「本当の自分」として生きようとするのは、なかなか大変なことです。

「なかなか大変」とは、それがそんなに容易なことであるならば、とっととみんな「本当の自分」で生きてるよ!ってことです。

そんなことをつぶやきつつ、それでも「本当の自分で人生を生きること」は、とても魅力的なあり方です。なぜ魅力を感じるか、といえば、これは私の考えですが、「私たちは、その状態を既に知っていて、今はただ、それを忘れてしまっているに過ぎないから」です。

「知らないもの」に「魅力を感じる」のは、原理的に無理がある気がします。

>> 5つのレッスン