自己尊重を低くする4つの恐怖

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自己肯定j

コンシャス・リビング―人生はもっと美しく豊かになる 」によれば、人間の自己尊重を低くするものとして、4つの恐怖があるといいます。

*自分には何か根本的な欠陥があると思い込む
*人より秀でることへの恐怖(才能や業績に関するもの)
*昔、自分が誰かの「やっかい者」だった記憶
*裏切れない相手への忠誠(人生の初期に作られた絆に対する勝手な約束)


こうしてみると、どれも、それほど現実離れした恐怖ではないことが分かります。

物事が上手く進まないと、「自分ってダメなのかな」、自分の思い通りに進めていきたいけれど、目立った動きをすると周囲から反感を買って「叩かれたり、足を引っ張られたりするのではなかろうか」、「昔、失敗するたびに、親にイヤな顔をされ、そのたびに酷く傷ついた」、そんな風に私も思うことがあります。

しいていうと、4つ目の恐怖(勝手にした約束への忠誠)は分かりにくいかもしれません。

これは著者の場合ですが、肥満・依存症を、会った事もない自分の父親の「人生の台本」から引き継いでいたそうです。

人が豊かな生を享受するためには、「自己肯定感」「自己尊重」が必須だと、私は思っています。

これは私の意見のなかでも、特に超・個人的意見なので、そのように読んでいただければと思います。少ない体験ではありますが、「引きこもり」「不登校」の人を見ていると、確かに「自己肯定感」「自己尊重」の領域が豊かに育っていない、と思います。

いろいろな考え方がありましょうが、私は、遅かれ早かれ「自身の闇」「ネガティブ」は、彼ら自身が、きちんと見つめなくてはならないだろう、と考えます。ただ、現状では、それをできる耐性がない。

「闇」や「ネガティブ」を、周囲が掘り出す必要はないと思いますよ。長所を自分で認めて伸ばしていけば、欠点は消えていく、のかもしれない…。傷の少ない段階ならば。

私が危惧するのは、周囲が自分にとって温かで、理解に富んでいて、何かとサポートしてくれるような、「愛」と「豊かさ」に満ちているときはよいのですが、状況が変わり、そういった人たちが姿を消し、過去の傷がフラッシュパックするような環境になった場合、昔、身に付けた「心身症的反応」が蘇ってしまう、ということなんです。

誰しも、精神的に安定した状態のときと、そうでないときがあります。しかし、「引きこもり」あるいは「不登校」といった人たちのブレ(あるいは揺れ)が大きいと言われるのは、隠れたところにあるトラウマが治らぬままに社会参加し、金属疲労を起こすためだと思います。

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