自己肯定と自己否定

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自己肯定m

「自己肯定」と「自己否定」は、対をなす概念なのか…、個人的には、というか、個人的嗜好においては、「そうではない」という立場を、私はとります。

ビジネスをはじめとするコーチングの世界では、「自己肯定」だけではダメで、若干の「自己否定」があるときに、その人は伸びる、と言われることが多いですね。

ビジネスコンサルティングの世界でよく使われる言葉で、「危機感をもて!」というやつです。「危機感のない」管理職、社員のために、経営者はコンサルタントにお金を払い、「危機感」を植えつける研修を実施します(私には、コンサルタントをしていた時期もあり、当時、かなりマジメに働いたので、そのパターンを身近に知っています。今では、とても胡散臭い世界だと思っています。経済効率の追求のためには、誠に有効な手段です)。

その一方で、宗教的、その言葉が嫌いであれば「自己探求の世界」における「自己否定」とは、
「こういう自分はOKだが、こういう自分はダメ」とか、
「改善の余地が、まだまだある」とか、
そういった
「長所を長所として評価し、短所は短所として見つめ、右肩上がりで頑張りましょう」
という、ビジネスやスポーツのような“目的達成指向”のうえにあるものではないと、私は思っています。

“目的達成指向”のコーチングの世界において、「自己否定」という言葉を、「自分では納得・満足のいかない部分」「まだまだ伸ばせるはずの能力」「克服したいポイント」とかと表現すればいいものを、単純に「自己否定」と言うので、「自分に甘く、自分を肯定してばかりで、否定できない今どきの若者はダメだ」というような、不思議な論説がまかり通るのです。

世の中には、「自分はダメだ」と思っている人の方が多いですよ。「自己否定できない」どころか、「自分を否定している」人が、老いも若きも大多数といえるでしょう。

「自己探求の世界」における「自己否定」とは、「虚偽を虚偽として見破る」ことだと、私は思っています。

つまり、「自分でないものを、自分だと勘違いしていること」に気づき、「ずっと被ってきた、自分ではない“ハリボテ”を捨てること」が「自己否定」です。

もちろん、他の考え方もあると思います。
宗教によっては、「ちっぽけな自分」に気づいて、欲や我を捨てることを「自己否定」と言うようですが、これも「欲や我のあるちっぽけな自分」は、広大な自分の本質とは無関係であり、しかし、「これぞ自分」と自分自身が認定して生きてきてしまったものであることから、やはり「ずっと被ってきた、自分ではない“ハリボテ”を捨てること」には違いないと思うのです。

>> 存在感覚の欠損