「受け入れる」という選択、「受け入れない」という選択
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「チャック・スペザーノ博士の成功心理100 」 によれば、私たちには「受け入れる」 という選択をする方がよいことと、「受け入れない」 という選択をする方がよいことがあるとのこと。
「受け入れる」 とは、「その状況と戦わないこと」。抵抗して押しやったものは、その後、折に触れ、私たちを傷つけるけれど、「受け入れる」 ことにより、体験や学習がスムースになる、というんですね。
しかし、勘違いしてはいけないのは、「受け入れる」 とは 「服従」 「誰かに傷つけられることを許すこと」 「そこで起きていることを好きになること」 ではない、という点であると、著者チャック・スペザーノ博士は述べています。
彼曰く、「受け入れる」 とは、「そこで起きていることの傷に囚われなくなること」
。
人生を振り返ったとき、傷と敗北のある地点には、自分が受け入れていないものがあり、その傷の度合いは、私たちが 「人生から引きこもる」 度合いに比例するそうです。
「あなたの傷は、あなたが拒絶したもの」、「敗北は、あなたが抵抗したもの」。それらを受け入れることにより、人間は前進し、よみがえる。
一方で、「受け入れない」 という選択をした方がよい場合について、著者はこう述べています。
「実のところ、『受け入れる』 という道と 『受け入れない』 という道は相容れないものではありません。このふたつは異なるレベルにおいて共存しているのです」
彼曰く、「受け入れない」 とは、「エゴの求めを受け入れない」 こと。
この著者が書いているわけではありませんが、「人が選択に迷ったとき、あとから振り返って、誇りをもつことのできる選択肢を選びなさい」 という言葉を聞いたことがあります。それに近いニュアンスを、私個人は感じます。
そういう 「誇りある選択」 を行いつづけていくうちに、人間は、己の本質的な気高さに気付いていくのかもしれません。
エゴとは 「こうすると、あなたは卑小で惨めになる」 とか、「こうすると、あなたは偉大になって、安定を手に入れられる」 とか、ささやく働きです。そして、人間がエゴのささやきに負け、気高い意図から離れていくことは少なくないのだろうと思います。
「神」 という概念が出てきているので、日本の人にとっては違和感があるかもしれませんが、著者は 「ア・コース・イン・ミラクルズ」 から、以下を引用しています。
「あなたに関する真実は非常に気高いもののため、神に値しないものはあなたにも値しない。だからこそ、これらの意味においてあなたが欲するものを選択せよ。そして自分が神に差し出さないものは、いっさい受け入れるな」
>> 「人間関係」のレッスン(1)
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