「いじめ」と「同調圧力」
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人生において、立ち直ることが難しいほどの「いじめ」を受けた経験は、幸いなことに、私にはありません。
しかし、深刻なものでないにせよ、到底理解の及ばないことを、クラスメートや仲間から、言われたり、されたりして、「私」という肉体や人格を否定されるのは、辛いものです。
ゆえに、毎日のように執拗に繰り返し、「いじめられる」ことが、どれだけ耐え難く、行く末のセルフイメージにダメージを与えるかは、計り知れません。
仮に、何らかのきっかけや理由・要因により、「いじめられる」側に多少の“非”があったとしても、直接の関わりのなかった人たちをも含めた集団において、「いじめられ続けられねばならない」根拠はありません。
では、なぜ「いじめ」は起こるのか
。
「同調圧力」という言葉が、ひとつのヒントになるかもしれません。
この言葉に出会ったのは、「のびのび子育て・教育Q&A 小学生版―お母さんの悩みにそっと答えます 」という本のなかです。
(P.26〜27)
いじめというものは、必ず学級(75%)や部活動(15%)といった固定された閉鎖的な空間、それも行動や活動の一致、団結を強く求める集団の中で発生しやすいという特性を有しています。ですから、学級でいえば、運動会や文化祭、合唱コンクールなど大型の企画の中で発生しやいのです。(中略)
ですから、担任の指導が手抜きでいい加減なクラスよりも、指導熱心で、いつもよい成果を上げ続けているクラスほど、実はいじめが発生しやすいのです。(中略)
部活動でも同様に、あまり熱心ではない部ではいじめは発生しにくいのです。相互に軋轢が生じないからです。逆に一致団結やチームプレーが重視・要求される部では、必ずといってよい程いじめが発生するのです。
これは、とてもよく分かる話です。
私はかつて、専門学校の教員をしておりました。
上の書籍は、小学生について書かれていますが、専門学校でも、同様のことが生じます。
何か大きなイベントに向かって、学生を、グループ分けして取り組ませると、
・それまで仲のよかった同士が、犬猿の仲になる
・反対に、それまでは何の接点もなかった同士が親友になる
・自分たちのグループで決めたルールや方針に従わないメンバーが排除される といったことが起こります。
もちろん、「やりたくないから、オレはやらない」というのではなく、「みんなで決めたことに対して、協力する」という態度をもつことは、大切です。
しかし、相応の収拾がつかないケースを見ると、目標達成に向けて「尻を叩く」ことか、必要以上になされているように感じます。本来、人間は、それぞれが違った個性・感受性・能力・肉体・気質をもっています。目標達成が何よりも大切になってしまい、「個々の能力や個性、ペースを尊重しながら進むこと」を、見失うのではないでしょうか。
言い換えると、教師も、子どもも、親も、心が余裕やゆとりを失った状態にある、ということです。
目標達成は、その後の子どもの成長を考えると、少々高いハードルに見えていても、あえて挑戦させる必要があると、判断されることもあるでしょう。その場合、ことに「集団同調性の高いワーク」については、絶えず、メンバーの個を意識しての、教師からの指導、周囲によるケアが求められます。
私が見てきた例でいうと、学生同士が、互いの能力や個性を認め、それにあった役割分担を行い、互いの仕事を積極的に評価し、声かけしていると、そのグループは、上手くワークを進めていくことができます。
誰もがイヤがる役割を、最も向いていなさそうな学生に押し付け、その後、メンバーの誰もケアしないようなグループが、上手くいくはずがありません。
グループワークには、学生それぞれの「隠された個性発見の場」という醍醐味があります。大人しい男の子と見えていたのに、「大工仕事」が得意中の得意であることが判明したり、丁寧に会計や出納の作業をして、メンバーを支える子が出てきたり、そして相互に、新たな「仲間像」が更新され、その後の学生生活にも変化が起こるのです。
>> 共通点をもった人への否定的反応
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