他者との共生

藤棚

人生観や価値観の多様化は、最近に始まったことではありません。

それぞれの生き方、考え方、個性に対し、人々や社会が受容的、寛容になってきています。

ただし、「肯定的」に、他者を受け入れ、認め、互いの喜びを喜びとしてシェアしているか、というと、そうでもありません。

このパートでは、「他者との共生」、幅広い意味での他者である「自然との共生」を考えます。

「許容する」と、どういうことが起こるか

共生a

経済学や国際関係政治学と同様に、「共生」というテーマには、“コントロールによる人為的調整”と“自由に基づく非人為的調整作用”という、大きく言って、ふたつの視点・アプローチがあるように思います。

「共生」に、“コントロールによる人為的調整”の考え方を用いると、私たち人間は、自分たちの欲求を抑え、他者利益を尊重し、利害を調整することになります。

つまり、「ガマンすることもあれば、ガマンしてもらうこともある、双方の同意と自覚のもとに」という世界が生まれます。

“自由に基づく非人為的調整作用”を信頼する、つまり「互いに許容するマインドをもつ」ことを選択すると、どうなるのでしょう。私たちが、自らの内なる良心や善なる導きに従えば、結果として、すべてがうまく共存・共栄できる、という発想につながっていくように、私は感じています。

どちらの考え方が正しいのか、今の時代に適切なのか、簡単に答えは出ません。しかし、ひとつ言えるのは、“自らの内なる良心や善なる導きに従うこと”においては、犠牲者がどこにも存在しなくなる、という素晴らしい可能性を見出すことができる、ということです。

「こうであるから、こうすべき」という理解と、「タテマエ」に基づく利害調整によるコンセンサスの果てには、忍耐と被害者意識をもつ人が多く現れます。

“自由に基づく非人為的調整作用”という、今まであまり注目されてこなかった視点を、“コントロールによる人為的調整”と比較しながら、検討していきたいと思っています。

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