トップ > 他者との共生 (記事一覧) > 南研子さんの言葉
「アマゾン、インディオからの伝言」(A)、「アマゾン、森の精霊からの声」(B)において、他者との、自然との共生について、著者である南研子さんからのメッセージのうち、特に心に残った言葉。 私はいつもアマゾンから日本に戻ると、酸欠状態になり呼吸が浅く苦しくなる。ジャングル暮らしは、筆舌に尽くしがたいほど、不便で大変だが、快眠、快食、快便で、心の本体が安らぐ。これはきっと大自然に身を置き、いかに人間がちっぽけな存在で、たいしたものではない事をいやというほど体験し、最初は苛立ち、もがき、焦り、そのうちに諦め、それが安堵感に変わっていつの間にか、この自然の法則に身を委ね、あるべき人間の姿に戻っていくからではないか。(B-P.68) ある時、私はラオーニに私たちの社会では、自分が生んだ子に殺されたり親に殺されたりすることがある、と言うと、彼は険しい表情で、「間違ってもそんな事を言ってはいけないよ。そんな事があるはずが無い。もしそれが本当だったら、お前たちの部族は滅びるよ」と言われた。(B-P.69) 経済優先の論理では、他者との競争を強いられるが、勝ち負け優劣など本来必要なく、これはあくまで貨幣制度にとって便利な基準でしかない。この基準があたかも全てであるかのように教育システムに導入したので、世の中が壊れ始めた。個々が自分にあった基準を育てる事こそが大事で、意味深い教育だと私は思う。しかし悲しいかな、個性豊かに育った子どもたちは少数派なので、現在この社会で生きていく事が容易ではない事も事実のようだ。(B-P.122) インディオ社会はシンプルではあるが、多様性に富んでいる。衣食住は殆ど森の恵みに感謝して頼り、それ以上の欲を望まない。以前ラオーニが、「人間は大地の上にあるものだけで生きていける。大地を掘ってはいけない」と言っていたが、私たち文明人は地下資源の恩恵無くして、今や生存不可能な社会を作ってしまった。(B-P.123) 社会が進歩し複雑になればなるほど文明の利器も増え、便利で快適な時間を過ごせるように錯覚するが、実は心の開発が遅れ物質的には満足しても、充足感が得られぬ。簡単にいえば、“生き甲斐”が欠落する歪んだ社会を、私たち文明人は築いてしまった。生き甲斐のハードルを高くし大義名分をくっつける。するとなおさら生き甲斐探しが難しくなる。(B-P.128〜129) 文明社会は確かに便利で、ほしい物はお金さえ持っていればすぐに手に入り、物質的に豊かになると、なんだか偉くなったように錯覚する人間も多い。お金は人を幸せにする要素が大いにある。多分九十九%、文明社会ではけりがつくが、残りの一%が九十九%を上回る、いや時にはそれ以上の価値のある事だったりする。(B-P.167) インディオ社会と文明社会の決定的な違いは、人間が万物の霊長だと思っているかそうでないかである。インディオの人は、動物、植物の命と人間の命の重さは同じであると考えている。文明人がもしそのように思うなら、全生物が生きていくうえで必要欠くべからざる酸素の生産地である、アマゾンの森、それも地球上の三分の一という大量に作っている地を金と欲望のために破壊するだろうか。人間は他者の命を日々頂いて生きている。魚、肉、野菜、穀物、全てに命がある。(B-P.176〜177) ある時ジャングルに実る、ピキの木の実をインディオが取っていたが、手が届く所だけでなくバラバラに選んで熟れた実を取っていたので、何故そうするるのかと聞くと、「この実は人間が食べるだけでなく、鳥も森の動物も食べるから考えてとるんだよ」と答えた。(B-P.181) >> クリシュナムルティの語る「信念」