クリシュナムルティの語る「自我」

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共生l

「目に映ったものに対する反応や反動が経験なのです」

「その経験を通して、様々な欲望が投影されます」

「そして私は自分が投影したものを経験するのです。つまり一定の形を持った欲望、自分で名前を付けた欲望を私は投影し、それに対して私は反応するのです」

「さてそうすると、欲望というものは実はあなたが経験と呼んでいるものではないでしょうか」

「たとえば今私が、真理とは何かということを理解しようとしているとします。それは私の欲求であり、切なる願望なのです。実はそのとき、私が真理であると考えているものが投影されるのです。なぜかと言いますと、私は今までに真理についてたくさんの本を読み、多くの人たちがそれについて話しているのを聞いたことがあるからです。(中略)そして私はそのすべてが欲しいのです。するとどういうことになるでしょうか。その欲求と願望そのものが投影されるのです。そして私はその投影された状態をあらかじめ知っているので、実際にその通りの経験をします」

自我の終焉―絶対自由への道」より。


クリシュナムルティは、知識、経験、信念、あらゆる形式の訓練は、「私」という感覚、自我を強大化し、それをして、すべてを分離の方向に向かわせる、としています。

そして
「私たちは自我から生まれたすべての経験が、否定であり破壊であることに気づきながらも、そのような経験を積極的な行動と呼んでいるのではないでしょうか。私たちが積極的な生き方と呼んでいるものは、まさにそれなのです。ですからこのような経験、生き方のすべてを解消しなくてはなりません。あなたにとっては自己否定以外の何者でもないでしょう」
と語ります。

「大いなるもの」に自分を同一化することにより、自我が消滅する、と言う宗教や組織もありますが、「大いなるもの」への同一化も、依然として自我の働きであり、「大いなるもの」は「私」の投影に過ぎない、と彼は看破します。

自我を消滅させるものとして、彼は「創造」をキーワードとして挙げています。

クリシュナムルティの語る「創造」については、「『自分らしく生きる』とは」というカテゴリーの、「『努力』という名の闘争」という記事でも取り上げています。

彼は、自分の精神の動きを見つめ、完全に知り尽くしたなら、精神は静止し、空虚な創作を止め、認識作用ではない真の創造が生まれると指摘します。

我々は、進歩している、成長しているといったように、精神の働きでストーリーを創作します。

*これらは、自我による狡猾なラベル付けであり、何かに自分を同一視したり、徳や経験を積もうとしたり、信念・知識を積み上げたりすることによって、自分を隠蔽する詐術であること
*それらの精神的活動が、一つの円をグルグル回り続けていること
自分の心の中を見つめることにより、それらに気づいたとき、自我は終わる、ということのようです。

そして、面白い表現を見つけました。徳を積もうとしている人、道徳的な人、正義の人は、「真理とは何か」を理解することが決してできない。「真理」は、真実の人のもとにやってくる。なぜ前者のところに「真理」がやってこないのか。徳が自我を覆い隠し、同時に自我を強化し、その人自身も徳を追い求めているから、だそうです。「○○であってはならない」と己を戒めるとき、その人が経験する「○○でない私」は、「私」という孤立化した感覚、自我(他者と自分の間に溝を作る、破壊と闘争のベクトル)の強化に他ならない、そのように述べているように感じました。

>> 「孤立」の理由