障がいをもつ人・子ども

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共生o

私は、障がいのある人・子どもと、それほどの関わりがあるわけではありません。

小中学校での同級生に、小児麻痺による身体の不自由な子がいましたけれど、彼女は何にでも前向きで明るく積極的な人でした。学業成績もよかったです。私はそれほど社交的な人間ではなかったので、むしろ、彼女の側から、よく明るい声をかけてもらっていました。私の通っていた田舎の小中学校には、「特殊学級(今は特別支援学級というようですね)」が長い間なかったのですが、時代の要請でしょうか、小学校高学年の頃に設置され、それまで同じクラスで学んでいた子たちの何名かが、そこに所属するようになりました。

なので、「普通学級」と「特殊学級」の生徒の間に、大きな違いがあるとは認識しておらず、気を悪くされる方がいたら申し訳ないので、あらかじめお詫びしておきますが、普通学級のなかでも、ひときわ「勉強についていけない子」が所属するクラスと、子ども心に位置づけていました。

障がいにも、「身体面」「精神や心理面」「知能面」と、いろいろな側面があって、すべてを「障がいのある人」とひとくくりにするものではないと思っています。

さて、一説によると、「障がいをもつ子ども」は増えているのだそうです。本当に増えているのか、あてはめる症例・病名が増えたから、増加しているように見えるだけなのではないか、という気もします。昔だったら、「ちょっと変わった子」と言われていた人たちを、あてはめることのできる行き先ができた、ということなのではないかと。しかし、きちんと調べたことはありませんので、はっきりしたことを、私は知りません。

「不登校」「引きこもり」の子ども・若者のなかには、学習障害、発達障害、精神疾患を抱えている人もいると聞きます。

私が読んだなかでは、「気になる子どもとシュタイナーの治療教育―個性と発達障がいを考える 」という本が、人間、子どもたちへの愛情に満ちていてよかったです。

そこにはこんな風に書かれています 。

「障がいを持つ人が、持たない人と同じように地域で幸せに暮らすために、私たちはどんな支援をしていったらいいのでしょうか。『幸せに』とは、『誇りのある仕事』を持ち、『ゆとりある生活』をおくり、『うるおいのある心』を保つことだと私は考えていますが、そうした生活を送るために、これまで述べてきた障がいのとらえ方はとても重要だと思います。つまり自閉症に限ったことではありませんが、様ざまな障がいにおける特徴はすべて私たちの中にもあり、私たちが普通に持っているものが極端に増幅されたものにすぎないということです。そう理解した時に初めて障がいを単なる障がいとみるのではなく、私たちとの共通点が見出されるのです」(P.67)

同書の冒頭で、著者は、シュタイナーの治療教育を学んだ、スイスの治療教育施設ゾンネンホーフでの体験に触れています。

グループの責任者から、著者の担当する子どもの名を告げられます。

「ゾンネンホーフでは、担当する子どもをスタッフに紹介するとき、『この子どもは自閉症だから…』とか『この子どもはダウン症だから』というように事前に告げることはありません。それは障がいという先入観を持って子どもたちと接するのではなく、子ども自身を冷静に、先入観を持たずに見るということが大切であるという、シュタイナーの治療教育観に基づいているのだと私は解釈しています」(P.12)

「そんな毎日の介助で心身ともに疲れ始めていた頃、ゼミナールの先生が私にこんなことをいいました。
『一体、トーマスは障がい児と言えるのだろうか』
私はこのことばが一瞬理解できませんでした。そうしたことを考える余裕などなかったのかもしれません。トーマスが『重度の障がいを持っている』ということだけにとらわれていたのでしょう。ゼミナールの先生は私にこういいました。
『どんな障がいを持った子どもも、その子どもの精神存在、その子どもの個性は全く健全であり続けているんだよ。子どもたちの本質、個性を私たちが愛情を持って、尊敬を持ってみることが、障がいを持つ子どもたちとかかわる時の基礎となるんだよ。トーマスは身体的にも知的にも重い障がいを持っているように見えるかもしれないけれどね、子どもたちはみんなその本質において全く健全な存在なんだ』
かみなりに打たれたような衝撃でした」(P.14〜15)

「症例や病名から人への認識を深めること」とは逆のスタンスにおいて書かれている本ですが、症例等でいえば、自閉症、アスペルガー症候群、学習障がい(LD)、注意欠陥多動性障がい(ADHD)、てんかん、ダウン症などが取り上げられています。

>> 内なる暴力性